創刊号 (1990年3月)
久保田知敏 白馬をめぐる対話的思考―『公孫龍子』白馬論篇の分析
日原 傳 『文心雕龍』体性篇の構造
馬淵 昌也 明清時代における人性論の展開と許誥
本間 次彦 傅山のために―傅山論序説―
中島 隆博 「荀子」における《正しい言語の暴力とそのほころび》
第2号 (1990年12月)
日原 傳 江陵張家山漢簡『脈書』について―馬王堆医帛との比較から
横手 裕 全真教の変容
茂木 敏夫 近代中国のアジア観―光緒初期、洋務知識人の見た「南洋」
中島 隆博 魚の楽しみともう一度語ること―『荘子』秋水篇小考―
第3号 (1991年7月)
長谷部英一 魏晋南北朝の暦論
伊東 貴之 「理」の恢復(上)―呂留良における現実批判の位相―
高柳 信夫 『天演論』再考
中島 隆博 どうすれば言語を抹消できるのか?―「言尽意」「言不尽意」をめぐる諸問題―
第4号 ~戸川芳郎教授退職記念特集~ (1992年3月)〔在庫切〕
【戸川芳郎教授退職記念特集】
戸川芳郎教授最終講義「『貴無』と『崇有』―魏晋期の經藝―」
戸川芳郎教授年譜略・論著略目
馬淵 昌也 元・明初性理学の一側面―朱子学の瀰漫と孫作の思想―
伊東 貴之 「理」の恢復(下)―呂留良における現実批判の位相―
恩田 裕正 『朱子語類』「自論為学工夫」篇訳注(上)
中島 隆博 強死せしものと死体の方へ―范縝『神滅論』の方向転換―
第5号 ~溝口雄三教授退官記念特集~ (1993年3月)〔在庫切〕
本間 次彦 甦る朱子
林 文孝 力と正しさ―呂坤における全数的生存の構想―
小島 毅 もう一つの明儒学案―福建朱子学展開の物語―
伊藤 貴之 「挫折」論の克服と「近代」への問い―戦後日本の中国思想史研究と溝口雄三氏の位置―
恩田 裕正 『朱子語類』「自論為学工夫」篇訳注(下)
【溝口雄三教授退官記念特集】
溝口 雄三 中国思想史における近代・前近代・近世
溝口雄三教授著作目録
権 純哲 茶山丁若鏞における経学と経世思想―彼の井田制論を中心に―
第6号 (1993年3月)
長谷部英一 隋代の暦論
高柳 信夫 厳復思想における「科学」の位置
中島 隆博 隠喩の忘却もしくは法の後に―『文心雕龍』比興篇から
第7号 (1993年12月)
茂木 敏夫 馬建忠の世界像―世界市場・「地大物博」・中国-朝鮮宗属関係―
蝦名 良亮 中華民国初期における大衆論の意味
中島 隆博 政治思想史の再構築について―J.G.A.ポーコック「儀礼、言語、権力」序説―
J.G.A.ポーコック/中島隆博(訳) 儀礼、言語、権力―古代中国哲学の明らかに政治的な意味について―
第8号 (1994年7月)
林 文孝 「日」の喩―明末東林派の一士人、繆昌期の「公論」論
石川 洋 師復の革命論―平民革命と無政府主義―
藤井 隆 馮友蘭における中国とヨーロッパ
近藤 浩之 馬王堆漢墓帛書『周易』研究概説 上 ―帛書『周易』研究二十年の動向―
第9号 (1995年7月)
鈴木 將久 すべてがなくなった―穆時英の「記憶」―
廣瀬 玲子 夢の言語 言語の夢―『牡丹亭還魂記』試論―
中島 隆博 自-発の限界―朱子学の脱構築のために―
第10号 (1996年9月)
蒋 楽群 『荀子』天論篇の再検討―その意図と意義
志野 好伸 経書の反復とその制限―『文心雕龍』考
唐澤 靖彦 帝政後期中国における話しことばの効用(1)―官話の社会的役割
藤井 隆 「調和」論の帰結―杜亜泉の試み
梁 一模 自由と公私―清末における日本経由の「自由」論以前の「自由」論
第11号 (1998年3月)
末永 高康 天人論再考
志野 好伸 他者の言語をどう扱うか―『史通』の歴史叙述批判
石川 聡美 声のあとに―『ウェディング バンケット』を読む
近藤 浩之 馬王堆漢墓帛書『周易』研究概説 中 ―『帛書周易』研究の現状と課題
第12号 (1998年11月)
宮川 敬之 中国近代佛学の起源
廣瀬 玲子 伝達のために―近代中国と小説―
〔付録〕本館坿印説部縁起 訳注
梁 一模 二つの中国語訳『自由論』―『自由原理』と『群己権界論』―
陳 捷 楊守敬と宮島誠一郎の筆談録
近藤 浩之 馬王堆漢墓帛書『周易』研究概説 下 ―『帛書周易』研究の現状と課題
第13号 (1999年12月)
内山 直樹 序文、日付、署名―『呂氏春秋』序意篇について―
鈴木 將久 余計なことば―瞿秋白『多余的話』における「語ること」と「演じること」―
李 承律 『荘子』の「知」とその思想的展開―『荘子』中の歴史的叙述および歴史観の考察を中心として―
第14号 (2000年7月)
芳賀 良信 賈誼の思想における「過秦論」の位置
内山 直樹 「顕栄」小釈 戦国最末期知識社会への一視点
井ノ口哲也 後漢時代における五経の継受 范曄『後漢書』に基づいて
長谷部英一 太陽に遠近はあるのか
志野 好伸 他者への責任 韓愈の場合
林 文孝 あの人の〈世界〉はどこに……?「王守仁における死の問題」ノート
川尻 文彦 清末の「富強」をめぐって
横手 裕 北京「五頂」覚書 「中頂」を中心に
西村 正男 王西彦主編時期桂林《力報・新懇地》目録
矢澤 知行 モンゴル時代河南江北諸軍団の兵站供給
水口 拓寿 「大家族主義」対「宗法主義」? 牧野巽氏の中国親族組織論を承けて
第15号 (2000年9月)
松下 道信 全真教南宗における性命説の展開
鈴木弘一郎 『程氏家塾讀書分年日程』をめぐって
欽 偉剛 朱熹と『参同契』テキスト
第16号 (2001年7月)
梁 一模 仁政と専制 厳復の政体論を中心に
石川 洋 『新世紀』の李石曽 公と進化のアナキズム
林 義強 進化論から「進化教」へ 章炳麟における進化論批判の思想構造
林 泰弘 洪秀全の思想の構造的理解 世界観と神観の形成過程を中心に
青木 隆 金聖歎文学理論の再構成 万物一体の仁と格物・忠恕・因縁生法
曹 峰 馬王堆漢墓帛書『經法』に見える「道」・「名」・「法」の研究
第17号 (2002年11月)
志野 好伸 韓愈試論 破壊の後に、幽霊と伴に―
廖 肇亨 明末清初の詩禅交渉研究序説
宮川 敬之 胡適・鈴木大拙「論争」要約および解説
廣瀬 玲子 王国維の哲学 ―経験の彼方へ/経験の彼方から
林 泰弘 洪秀全と崔済愚における神秘体験の意味 体験前後の様子の比較を通じて
第18号 ~池田知久教授退官記念特集~ (2003年3月)
李 承律 郭店楚簡『唐虞之道』の養生思想 ―禅譲説との関連において―
長谷部英一 周家台三〇号秦墓竹簡の治療法
古橋 紀宏 養老戸令応分条における妾の取得分について
水口 拓寿 人格としての祖先、機械としての墓 福建上杭『李氏族譜』に見る風水地理観念
久保田知敏 『公孫龍子』跡府篇の成立について
小寺 敦 『左傳』に見える繼承について
呂 静 盟誓における載書の書式に関する一考察
曹 峰 郭店楚簡『語叢』一・三兩篇に見える「名」の研究
【池田知久教授退官記念特集】
池田知久先生の略歴と主要研究業績
池田 知久 郭店楚簡『老子』諸章の上段・中段・下段―『老子』のテキスト形成史の中で―
第19号 (2003年6月)
竹元 規人 歴史はいかに作られるか―初期顧頡剛における古史と民俗
中島 隆博 「中国哲学史」の系譜学―ジョン・デューイの発生的方法と胡適―
石井 剛 分かれてある人倫―劉師培の倫理秩序観―
第20号 (2004年6月)
新田 元規 唐宋より淸初に至る禘祫解釈史
喬 志航 王国維と「哲学」
石井 剛 戴震の学術思想における「聖人」の作用について
第21号 (2005年11月)
石川 洋 平等と嫉忌心 ――劉師培のアナキズムについての一考察――
竹元 規人 胡適の中国哲学史・思想史構想とその困難 ――「宗教」、「科学」、「ルネサンス」
ヴィレーン・ムーティ、小野寺史郎 章太炎の初期思想:普遍性と特殊性の関係
辛 炫承 劉宗周の「修己」意識と社会秩序観 |